ソービタ ヒミ

2015年11月8日の朝、インターネットのニュースでソービタヒミ(ソービタ僧)がシンガポールの病院で亡くなったことを知りました。
翌日、9日にはすでにコロンボの道路にはお坊さんが亡くなったことを知らせるオレンジの旗がたくさんたなびいていたんですけどね。

葬儀は今日、12日と発表され、私もS氏もお互いに気分を盛り上げようとしながら浮上しないような微妙な4日間を過ごしたわけですが、このソービタヒミ、当然日本ではほとんど知られていなかったと思います。
でもスリランカではとても重要な方でした。
スリランカで生活するにあたって、このブログでも
政治について話すこと
宗教について言及すること
このことは人それぞれで信じる政党、宗教によって意見も分かれることからなるべく書かないようにしていたんですけど、今回は特別にこのソービタヒミについての紹介をしておこうと思います。
私もヒミのことは忘れたくないし、書き留めておく意味でも・・・。
私がソービタヒミをよく見るようになったのは今年の初め、2015年1月の大統領選挙の前あたりから。
簡単に言ってしまうと前大統領のやり方は間違っていると以前から糾弾していたそうです。
元々前大統領のやり方に反対であったヒミは大統領選に出馬することになった現大統領側に付きました。
そして大統領を交代させることに尽力を尽くしていたんです。
スリランカでは政党に関わる僧というのもいて、このソービタヒミも政治に関する意見をすることが多かったためそういった一人と言われがちだったようですが、ご本人はそのことを良く分かっていて、どの政党にも関わらず、正しいことを正しい、間違っていることを間違っている、そうしっかりと発言する方でした。
正しいことを正しい、間違っていることを間違っている、自分の意見を言うのは当然のことでしょう?と思われるかもですが、それがはばかられる状況であったのが前大統領の政権下。
誰もが長いものに巻かれていく中で、ソービタヒミは恐れずに発言をしていたんですよね。
ここで重要なことが一つ。
大統領はスリランカのトップ。
昔でいえば王様のような状態。
その王様が暴走したとき、唯一意見が言えるのがスリランカではお坊さん。
王様に大臣は意見ができないし、王様に家臣は意見ができません。
でも王様でも敬う、本来権力とは別枠で存在しているのがお坊さん。
この国ではそういう意味で大統領に意見が言えるのがお坊さんだけなんですね。
そのことを分かっていたソービタヒミは恐れずに意見をした。
それが国民の意見を代弁した勇気のあることだったんですよね。
もちろんヒミだけの力ではないけれど、今年の1月に大統領が新しくなってやっとここから!と思った矢先での訃報。
本当に残念です。
[[pict:down]]ソービタヒミが亡くなったことを伝えたときのあるニュースサイト
(シンハラ語ですけど。)

(クリックするとニュースサイトが見られます。)
そんなヒミ、葬儀は国葬として盛大に行われ、12日には5万人の参列者が見込まれているほどのもので、当然12日までの間にもヒミに会いに行った人たちのせいで安置されたお寺の近くは交通整理が行われたり大変なことになりました。
その国民の悲しみは仏教徒だけにとどまらず、イスラム教徒の人たちが作ったヒミの訃報を悲しむチラシを見かけたり、キリスト教徒も含めてヒミの葬儀に参列した人たち。
お坊さんが亡くなるとそれを知らせるためのオレンジ色の旗があちこちに掲げられるわけですが、普段仏教の行事では当然仏教の旗を見かける場所のないイスラム教徒の人たちが集まっている町でオレンジ色の旗が各家に掲げられているのを見て、正直びっくりするとともにそれだけヒミの宗教を超えた凄さを感じました。
少し前にキャンディの高僧が亡くなった時にも大きな葬儀が行われましたが、これほどの人々が自分の考えで動くことはしなかったと思うほどの大きな葬儀となったわけです。
でも、実はこれもソービタヒミは生前こうなることを知っていて、自分が高齢であり、死期が近いことも考えてメッセージを残していました。
私が死んでもペラヘラをしないでほしい。
子供たちを炎天下の中、立たせてはいけない。
高価な棺に入れる必要もない。小さな安い棺でいい。
亡くなったらその日のうちにでも速やかに遺体を燃やしてほしい。
前の二つの言葉はこれを行うことによって道路封鎖などで国民の通行の妨げをし、生活を不自由にすることがないように。
そして言葉全体で伝えていたのは「自分の葬儀は国葬になる」ということがわかっていた上で、自分のために税金を使ってお金を無駄にしないでほしい、それは国民が国に納めたお金であり自分の葬儀のものではない。
そういった意味を含むメッセージだったんですよね。
でも結果的にヒミの葬儀はとてもとても大きなものになりました。
これを決定したのは仏教教会の高僧で、
「彼がどのような葬儀を望もうと葬儀をどのようにするかはこちらで決める。」
という中での決定だったわけですが、ヒミがもし生きていたらきっと叱っていたでしょうね。
このヒミの死によって、ヒミの功績が見直され、来年から各学校にヒミのことを書いた本を置くことが決定しました。(どのような本なのか、教科書に入れられるのかはまだ分かりませんが。)
もちろん支持政党や自分の信じるもの、考え方によって違いはあるわけですが、この数日スリランカではソービタヒミというお坊さんが亡くなり、多くの人たちが悲しんでいたことを知ってもらえればな〜と思います。
生前、
「なぜそんな大変な人生を歩もうと思ったのか」

という質問に対して
「人というのは『死んでも生き続けるもの』と『生きていても死んでいるもの』がいる。
生きても死んでいるものとはただ食べて飲んで人生を過ごす者。そうではなく、この人生を最後まで全うし、その最後の瞬間までしっかりと受け止めるためにどのような困難があってもそれを乗り越えて生きようと思ったから、大変であることは承知の上で私はここにいる。」
と話していたソービタヒミ。
ただ「いい人でした」ではなく、いろんな事情と政局とが絡み合うスリランカの国内でしっかりとした生き様を見せたヒミはやっぱりスリランカにとってかけがえのない存在だったと思います。
今回のヒミの死によって、ある意味指導者を失ったように見えても、ヒミの死を悲しんだスリランカの人たちがヒミの遺志を受け継ぎ自分自身で考えて正しく生きるということについて寄り考えてくれるようになるんじゃないかと期待しています。
そして私は、ヒミに会ったことはないけれどそんなヒミと、このスリランカで同じ時代を生きることができたことにまず感謝したいと思います。
私も政治という分野ではないけれど自分の道を正しく生きていける人になりたいと思ったのでした。

ソービタ ヒミ

2015年11月8日の朝、インターネットのニュースでソービタヒミ(ソービタ僧)がシンガポールの病院で亡くなったことを知りました。
翌日、9日にはすでにコロンボの道路にはお坊さんが亡くなったことを知らせるオレンジの旗がたくさんたなびいていたんですけどね。

葬儀は今日、12日と発表され、私もS氏もお互いに気分を盛り上げようとしながら浮上しないような微妙な4日間を過ごしたわけですが、このソービタヒミ、当然日本ではほとんど知られていなかったと思います。
でもスリランカではとても重要な方でした。
スリランカで生活するにあたって、このブログでも
政治について話すこと
宗教について言及すること
このことは人それぞれで信じる政党、宗教によって意見も分かれることからなるべく書かないようにしていたんですけど、今回は特別にこのソービタヒミについての紹介をしておこうと思います。
私もヒミのことは忘れたくないし、書き留めておく意味でも・・・。
私がソービタヒミをよく見るようになったのは今年の初め、2015年1月の大統領選挙の前あたりから。
簡単に言ってしまうと前大統領のやり方は間違っていると以前から糾弾していたそうです。
元々前大統領のやり方に反対であったヒミは大統領選に出馬することになった現大統領側に付きました。
そして大統領を交代させることに尽力を尽くしていたんです。
スリランカでは政党に関わる僧というのもいて、このソービタヒミも政治に関する意見をすることが多かったためそういった一人と言われがちだったようですが、ご本人はそのことを良く分かっていて、どの政党にも関わらず、正しいことを正しい、間違っていることを間違っている、そうしっかりと発言する方でした。
正しいことを正しい、間違っていることを間違っている、自分の意見を言うのは当然のことでしょう?と思われるかもですが、それがはばかられる状況であったのが前大統領の政権下。
誰もが長いものに巻かれていく中で、ソービタヒミは恐れずに発言をしていたんですよね。
ここで重要なことが一つ。
大統領はスリランカのトップ。
昔でいえば王様のような状態。
その王様が暴走したとき、唯一意見が言えるのがスリランカではお坊さん。
王様に大臣は意見ができないし、王様に家臣は意見ができません。
でも王様でも敬う、本来権力とは別枠で存在しているのがお坊さん。
この国ではそういう意味で大統領に意見が言えるのがお坊さんだけなんですね。
そのことを分かっていたソービタヒミは恐れずに意見をした。
それが国民の意見を代弁した勇気のあることだったんですよね。
もちろんヒミだけの力ではないけれど、今年の1月に大統領が新しくなってやっとここから!と思った矢先での訃報。
本当に残念です。
[[pict:down]]ソービタヒミが亡くなったことを伝えたときのあるニュースサイト
(シンハラ語ですけど。)

(クリックするとニュースサイトが見られます。)
そんなヒミ、葬儀は国葬として盛大に行われ、12日には5万人の参列者が見込まれているほどのもので、当然12日までの間にもヒミに会いに行った人たちのせいで安置されたお寺の近くは交通整理が行われたり大変なことになりました。
その国民の悲しみは仏教徒だけにとどまらず、イスラム教徒の人たちが作ったヒミの訃報を悲しむチラシを見かけたり、キリスト教徒も含めてヒミの葬儀に参列した人たち。
お坊さんが亡くなるとそれを知らせるためのオレンジ色の旗があちこちに掲げられるわけですが、普段仏教の行事では当然仏教の旗を見かける場所のないイスラム教徒の人たちが集まっている町でオレンジ色の旗が各家に掲げられているのを見て、正直びっくりするとともにそれだけヒミの宗教を超えた凄さを感じました。
少し前にキャンディの高僧が亡くなった時にも大きな葬儀が行われましたが、これほどの人々が自分の考えで動くことはしなかったと思うほどの大きな葬儀となったわけです。
でも、実はこれもソービタヒミは生前こうなることを知っていて、自分が高齢であり、死期が近いことも考えてメッセージを残していました。
私が死んでもペラヘラをしないでほしい。
子供たちを炎天下の中、立たせてはいけない。
高価な棺に入れる必要もない。小さな安い棺でいい。
亡くなったらその日のうちにでも速やかに遺体を燃やしてほしい。
前の二つの言葉はこれを行うことによって道路封鎖などで国民の通行の妨げをし、生活を不自由にすることがないように。
そして言葉全体で伝えていたのは「自分の葬儀は国葬になる」ということがわかっていた上で、自分のために税金を使ってお金を無駄にしないでほしい、それは国民が国に納めたお金であり自分の葬儀のものではない。
そういった意味を含むメッセージだったんですよね。
でも結果的にヒミの葬儀はとてもとても大きなものになりました。
これを決定したのは仏教教会の高僧で、
「彼がどのような葬儀を望もうと葬儀をどのようにするかはこちらで決める。」
という中での決定だったわけですが、ヒミがもし生きていたらきっと叱っていたでしょうね。
このヒミの死によって、ヒミの功績が見直され、来年から各学校にヒミのことを書いた本を置くことが決定しました。(どのような本なのか、教科書に入れられるのかはまだ分かりませんが。)
もちろん支持政党や自分の信じるもの、考え方によって違いはあるわけですが、この数日スリランカではソービタヒミというお坊さんが亡くなり、多くの人たちが悲しんでいたことを知ってもらえればな〜と思います。
生前、
「なぜそんな大変な人生を歩もうと思ったのか」

という質問に対して
「人というのは『死んでも生き続けるもの』と『生きていても死んでいるもの』がいる。
生きても死んでいるものとはただ食べて飲んで人生を過ごす者。そうではなく、この人生を最後まで全うし、その最後の瞬間までしっかりと受け止めるためにどのような困難があってもそれを乗り越えて生きようと思ったから、大変であることは承知の上で私はここにいる。」
と話していたソービタヒミ。
ただ「いい人でした」ではなく、いろんな事情と政局とが絡み合うスリランカの国内でしっかりとした生き様を見せたヒミはやっぱりスリランカにとってかけがえのない存在だったと思います。
今回のヒミの死によって、ある意味指導者を失ったように見えても、ヒミの死を悲しんだスリランカの人たちがヒミの遺志を受け継ぎ自分自身で考えて正しく生きるということについて寄り考えてくれるようになるんじゃないかと期待しています。
そして私は、ヒミに会ったことはないけれどそんなヒミと、このスリランカで同じ時代を生きることができたことにまず感謝したいと思います。
私も政治という分野ではないけれど自分の道を正しく生きていける人になりたいと思ったのでした。

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