それぞれの考え方

スリランカの友達が先日研修で1週間だけ日本へ行ってきた。
以前日本の大学に通っていたから日本語も堪能な彼女。
久しぶりの日本をしっかり楽しんできた様子。

楽しかった日本のお土産を見せてくれた中に、研修プログラムの一環でスカイツリーに登った写真が2枚あった。
2枚とも遊園地にあるみたいなスカイツリー専用の台紙に入れられた写真だったんだけど、よくよく聞いてみたらスカイツリーって展望デッキへのチケットは2500円で、さらにその上の展望回廊へ登りたければ追加で1000円払って登るんだとか。
彼女の研修では展望デッキまでのチケットだけが渡されていたらしいんだけど、彼女は迷わずそこで1000円を払ってさらに上の展望回廊へ行ったらしい。
「お土産も合わせて5000円以上かかったけど、次にはいつ日本に来られるかわからないし、スカイツリーに来られるかもわからないでしょ?写真だって普通よりは高くても思い出だからと思ってみんなで撮ったのとは別に一人のも撮ってもらって台紙に入れてもらったの。」
と笑う彼女の話を聞いて、近くにいたもう一人のスリランカの友人がふと笑いながらこう言った。
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スリランカ人の彼女は日本に行ってスカイツリーに登った。
展望デッキまでのチケットは渡されたものだったけど、そこで止めずに自分のお金を払って展望回廊まで行き、そこでしか買えない写真にもお金をかけた。
でもそのお金を払って楽しむ時間はどのくらい?
せいぜい1〜2時間だよね?
スカイツリーには日本人が毎日たくさんやってきて同じように登るわけだけど、その逆にスリランカ旅行に来る日本人を見ていてわからないと思うのは、スカイツリーよりも例えばシーギリヤ行ったら岩山を登ったり、景色を見たりして2時間以上楽しめるし、歴史的にもとても価値がある場所なのに、そのお金が勿体ないと言って登るのを止める人がいることだよね。
スカイツリーの入場料を払う物価の国から10万ほどの飛行機のチケットを買ってまでスリランカに来て、シーギリヤの入場料は高いというその感覚は一体どこから来るんだろう?
やっぱり旅行に行く時にはお金のことを考えずに楽しむことが一番だと思うんだけど・・・。
そういう時の考え方って逆転してるというのか・・・時々日本人ってわからない!と思う瞬間だね。
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確かに。
スリランカ旅行でも何にお金をかけるかは人それぞれの選択。
でも、やっぱりスリランカまで来てシーギリヤを遠くから見るだけで帰るのは本当にもったいない。
またすぐにスリランカに来るのであれば構わないけど、次はいつ来るのかわからないならやっぱり登っておいた方がいいだろうと私も思う。
でも実際にスリランカ国内、いろいろな場所の遺跡に行って入場料を聞いて入るのを止めたという話は比較的聞く話。
日本はスリランカよりも全体的に金銭的には裕福だけど、スリランカの人たちのほうが日本人の私たちよりも勢いのある考え方をする部分って確かにある気がする。
日本人から見るスリランカの人たちの行動は不思議な事がいっぱい。
でもスリランカの人たちが見る日本人の行動も不思議な事がいっぱいってこと。

そういう違いがおもしろいと思うんだよね。

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