シーギリヤあれこれ

急にシーギリヤのことが日本とスリランカのニュースを賑わせたここ数日。
私にとってはそんなことよりシーギリギー(シーギリヤの詩)[[pict:heart]]なわけだけど、今回のニュースでシーギリヤについてまた改めていろいろと考えるきっかけになった。
そもそもシーギリヤっていうのは日本では「カーシャパ王が王宮を作ったシーギリヤ」として紹介される。
ガイドブックにもそう書かれてる。
簡単な歴史については
こちら↓
ウィキペディア参照
スリランカの歴史の中でシーギリヤが最もクローズアップされるのはカーシャパ王の時代であり、現在の観光としてみてもその様子を見ることが一番の目玉になってる。
ただ、スリランカではシーギリヤというのはカーシャパ王が遷都する以前からも仏教僧がいたという話も聞く。
だから長い歴史の中でのシーギリヤを考えれば長い間仏教僧がいたところに急に王様が王宮を建て、20年弱の間にぎわっていたけれどその後また仏教僧の場所に戻ったということで、そう考えれば今回ニュースになったようにシーギリヤは完全なお寺ではないけど仏教僧のものだという考え方をしたとしても間違いってわけでもない。
私の周りでもいろいろな意見があったし、正しい結論はなくても自分はどう思ってるの?ということを改めて考えるいい機会になったと思う。
ちなみにシーギリヤにはカーシャパ王が王都を建てると同時に弟が攻めてきたときのために用意した投石機が使われないままそのまま残っている。
弟がインドから戻ってきた時の想定をして用意をしていたのであれば王宮で籠城をして戦えばよかったのに打って出てしまった愚かな王様そう紹介されている本も見たことがある。
もちろんスリランカでもそう言われることもあるんだけど、これについて友達と以前話をしたことがあった。
[[pict:q]]カーシャパ王は本当に愚かだったんだと思う?
それに対しての友人の意見は
「それは愚かとかそういう意味ではなかったんじゃないかと思うよ」
だった。
世の中には戦術に長けた人もいればそうではない人もいる。今では5世紀のことなんてわからないけどカーシャパ王はもしかしたら戦術の能力よりも芸術についての能力があったんじゃないかと思う。だって、あれだけの王宮を作ったんだから。
そういう芸術肌の人が戦になったらまず最初に何を考えると思う?確かに勝たなくてはいけないのはわかっていても自分の作った芸術を守りたいと思ってしまう気持ちが強くなってしまったんじゃないかな?
人ってそれぞれ大事なもの、得意なものがあるから今は推測するしかないとしてもせっかく作った投石機なんかを使わずに戦をした愚かな王様と考える考え方の人にはわからないところに王の大事なものがあったんだろう、って思うよ。もちろんこれだって本当かはわからないけどね。
歴史って過去の話でその時の人たちのことはわからない以上、今考える意見でいろいろな考え方があってもいいと思うんだよね。

ただ書かれていること、教えられること以上に自分の考えを持っていた友人をすごいな〜[[pict:kirakira]]と思ったことを覚えてる。
私にとっては最初も書いた通り一番興味があるのはシーギリギーだけど、それ以外に思いを巡らすといろいろあるシーギリヤでした。

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