サッダルマラトゥナーワリヤ

試験は終わっちゃったけどスリランカ中期の文学話。
先日紹介したブッサラナ2013年4月3日参照)はポロンナルワ時代に書かれた本だったけど、その後のスリランカ文学に更なる新しい風を吹き込んだのがダンバデニヤ時代にダルマセーナヒミ(ダルマセーナ僧)によって書かれた『サッダルマラトゥナーワリヤ』
これもジャータカカター(ジャータカ物語)をいくつか取り上げて書かれている本。
ブッサラナも聞く人の事を考えて書かれていた本だったけど、サッダルマラトゥナーワリヤは更にさまざまなアイデアを入れ込んで作られた。
まずは“デバスカタナ(セリフ)”の形式を使ったこと。
現代小説でもよく使われているセリフの形式を使うということはそれまでにないとても斬新なアイデアで、人々によりよくわかるようにと考えられていることが分かる。
そしてブッサラナと同じように長文と短文の使い分け。
長文ばかりが続くと聞く人も疲れてしまうため短文と長文をうまく使い分け、長文には同じ音のある言葉を使うなど頭韻の方法も見られる。
頭韻法って何?と思ったらこちら→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%AD%E9%9F%BB%E6%B3%95
また、ダルマセーナヒミもたくさんの比喩を使っていて、
「ウナギが泳いでいく時に尻尾をつかむよう」
「豚の鼻に耕うん機を付けたよう」
「ぞうひ病になった時、背中に薬を塗ったよう」

こういった比喩の表現がサッダルマラトゥナーワリヤの中には1000以上も見られ、この表現は現代でも有名なものもある。
この本に置いてダルマセーナヒミが力を入れたのは人の心が動く様子であり、それがこのサッダルマラトゥナーワリヤの醍醐味となっている。
また、短編でも小説でも文章を作るときに重要となるのはその言語だけど、ダルマセーナヒミは言語についてとてもよく考えている。
そのため、ダルマセーナヒミほど上手に言語を使って本を書いた人はシンハラ文学の歴史の中でも類を見ないと言われていて、その方法は現代でも十分に通用する、当時としては時代を先取りした本だったと言われる。
そしてこれによってシンハラ文学は更なる発展をすることになる。
サッダルマラトゥナーワリヤが書かれたのはダンバデニヤ時代とされているけど、現在、シンハラ語、文学などシンハラ語の歴史として重要になるのがこの時代。
サンスクリット語の言葉をどんどんと取り入れて言語が発達し、西洋からの侵略もまだなかったこの時代はシンハラ語が最高潮に達する時代とも言われる。
現存している本が多いのもこの時代からで、実はアヌラーダプラ、ポロンナルワ時代の本は侵略や火事などで今はほとんど残っていないのがとっても残念。
もし残っていたら・・・歴史に『もし』はないって言うけど、もし残っていたなら・・・
きっともっといろいろなシンハラ語のこともわかっただろうに。そう思わずにはいられない。

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