悔しい、悔しい・・・

いくら試験勉強で時間がないと言っても見ないではいられない新聞記事があった。
スリランカで有名なシーギリヤのライオンの足に落書きされちゃったというお話。

新聞には写真もあったんだけどこれは・・・と本当にびっくりする。

最初にわかったときには本当に心が沈んだ。
怒りが来るより何より悲しいと感じたんだけど、それは歴史的に価値があるものが壊れたからとか、それだけではなくって・・・。
形のあるものはいつか壊れていく。
それはどうしようもないこと。

少し前にもシーギリヤに大雨が降り、近くに雷が落ちた時、その振動でライオンの一部が崩れてしまったという話は聞いていた。
でもそれは5世紀に作られた遺跡の古さもある。
仕方がないともいえる。
でも!!
落書きは・・・!!

この落書きをしたのはある山間部から旅行に来た生徒たち。
学校の旅行で来ていた生徒たちの中に遺跡の意味がまだよくわからなかったのか、覚えたばかりの英語やタミル語の文字をみんなで楽しく身の回りにあった小石を使って書いてしまったらしい。
でも引率していたはずの学校の先生は何をしていたのか、子供を放っていたのか、それとも見て見ぬふりをしていたのか・・・そういったことも新聞にはもちろん書かれていた。
でも、落書きってもともとシーギリヤの詩だって落書きでしょう?
そう思うかもしれない。
でもあの落書きは、落書きだったとしても先日紹介したように韻を踏み、感動した様子を自分たちのあらん限りの知恵を絞って書いた詩。
2013年3月28日参照
ただ自分が書けるようになった文字を大きく楽しく書いたものではなかった。
もちろんこれも新聞に書かれていたけど。
シーギリヤ、シンハラ語といえばその古代文字からの変遷を解読したパラナウィターナという先生がいた。
とてもスリランカのことを愛していた先生がもし今まだ生きていたら・・・
文字について、歴史について熱心だったパラナウィターナ先生の話は大学院の授業でもたびたび出てきていた。
そんなに過去の人ではないから、大学の先生たちも実際に授業を受けていた先生もいる。
そんなパラナウィターナ先生の授業の話が残っている。
——————————————————————-
先生の授業は生徒たちがとても気を使う授業だったという。
ある日、生徒が質問をした。
「シーギリヤの詩にあるこの文字は先生は●と言っていますが△にも見えます。△ではないのですか?」
すると即座に先生はそこで授業を中断し、そのままその生徒が言った文字を探しにシーギリヤに行ってしまったという。
そして次の授業は先生がその文字を探し、解読し、生徒に説明できるようになってから。
それがわかるまで先生は戻ってこなかったという。
生徒も次の授業が1週間後なのか2週間後なのか、1カ月後なのかわからない状態になってしまい、その後質問するのが禁句となってしまったらしい。
——————————————————————-
そんな先生のシーギリヤの保存に関わるこんな話もあった。
今のようにシーギリヤの絵がしっかりと保存される体制にはなかったある日、観光客が興味本位で絵の端を指でひっかいているのを見たパラナウィターナ先生はすぐに政府に泣いて訴えたのだという。
「あれはスリランカの大切な大切な宝物だ、それが壊れて行くのを国はただ見ているだけなのか!!」
そうして保存する体制を作ったスリランカ。
先生たちはパラナウィターナ先生はシーギリヤをパナ ワダー アーダレイ(命 よりも 愛した)と言っていたけど、そんな先生が今生きていたら、今回の事件をどう見たんだろう?
きっと真剣に、一生懸命に何かをしてくれていたはず。
事件後どうなっているのか様子もわからないけど心から思うのは
「パラナウィターナ先生が生きていてくれたら・・・」
先生が今、すでに亡くなっていることが
私は悔しい、本当に悔しいと思った。

タイトルとURLをコピーしました